まどのおと

まどのノート。日々の記録。

勝負する人生って

私は勝負を避けている。自覚する前から避けていたし、自覚的に避けている。これは、負けず嫌いなんだそうだ。勝負の場に立たなければ、勝った喜びはないが、負けた悔しさもない、穏やかな日々がやってくると信じていたし、実際穏やかで、でもうがった目で見れば何もない日々だ。

スポーツに限らず、自分なりに戦った時期もあったし、それなりに悔しくて伸ばした技術などもあったけれど、結局限界を感じて戦いから降りた。あきらめが早い、この繰り返しがこれまでの人生。一方で、ルールの明確でない勝負は価値観に合わないので秒速で捨てていた。だから自分は相対評価ではないところで生きていると思っていたのだけれど、結局負けず嫌いなんだそうだ。斬新な視点。でも今ならちょっとわかる。

勝負をしている日々も、穏やかな日々も、どちらも良し悪しだから、個人の考えで選べばいいと思う。個人的には交互にやってくる気がしている。何となく今転換期なんだろうなと感じているっていうだけかな。ちなみに転換先は勝負する日々…だよね…ウザーw

スポーツ観戦大好き。プロ野球を見れば、私が応援しているチームは日々レギュラーや打順が変わり、率という明確な数字で判断されている。オリンピックに向けた予選や、最終選考をしている競技を見ていると、人生がかかっているのに場合によっては明確な定義ではなく選考に落ちる。監督の立場から見れば、選手たちはピースで、目的に合致した駒を選んだということなのだと理解できるけれど、昔の自分にはわからなかった。テニスを習い始めた私が数か月見ているコーチの配置表も、ある意味では人気投票という明確かつ明確でない根拠で変わっていく。社内政治や昇進レースなんていうのもそんなもんだろう。こういうあやふやなものは、なんだか見ていても辛い絵にしか見えないし、関わりたくない。

頭の芯の方で、勝敗はちょっとした運だと思っているし、どんぐりの背比べ…小さい差を競ってどうするんだろうと思って見ている。だから天才が現れるとものすごく魅力的に映る。かといって自分が何かでその天才になれるんだろうか?とかいう可能性について考えたことは無かった。これは自己否定の刷り込みかもしれない。頭の芯が冷えているから、勝負の日々に突入してもいまいち燃え上がらない。冷静とは違うと思った。

本気で生きるからこそ、人生を謳歌できるのかもしれない。が、戦わない人生は本気ではないのか?そんなことを思いながら、みんなの勝負を応援している。

オリンピックが近づく。